【福島の歴史】会津松平氏庭園・御楽園に行ってきました。

 

今日、会津松平氏庭園の御楽園に行ってきました。上の写真が入口です。

御楽園の歴史をみると、1384年からとなっています。戦国時代には葦名氏が別荘を建築、復興。江戸時代には会津藩祖・保科正之公が再建したりなど、残してきました。

戊辰戦争時には新政府軍の治療所になっていたため、残りました。

DSC_0695

DSC_0696

この重陽閣は、戊辰戦争の時の会津藩主・松平容保公のお孫さんにあたります勢津子様が秩父宮雍仁親王(ちちぶのみややすひとしんのう)殿下とご成婚のご報告をされる際に東山温泉に立てられた建物です。昭和48年に御楽園に移築されました。
戊辰戦争時に逆賊といわれた会津藩、藩主のお孫さんであります勢津子様が皇室に嫁ぐというのは会津の方々の喜びは計り知れないものだったでしょう。重陽閣の1階にはご成婚のご報告に会津にいらしている際の写真が「想ひ出の部屋」として掲載されています。天守閣のない鶴ヶ城の本丸にはたくさんの人手、会津藩祖・保科正之公が祀られている土津神社などへご報告された際の写真などがありました。私が御薬園に訪れてみたいと思っていた理由は、勢津子様の歴史がここにあると知ったからでした。

御薬園に訪れてゆっくり歩いていましたら、ボランティアガイドの方が声をかけてくださって、たくさん説明をしていただきました。私もまだまだ少しの知識で会津の歴史のキャッチボールをしながら話を深めていくことができました。戊辰戦争後、会津の人々は今の青森県や北海道に移住することになりますが、移住するときに陸路で途中で亡くなられる方がいたり、移住後の生活の苦しさだったり、斗南藩になってからの歴史は学ぶことがほとんどないと思います。斗南藩に移った会津の人々が教育に力を入れたこと、二世三世の方々が青森県内のいくつもの学校の校長先生になってり、教育長になったり、県知事になったりしています。教育に力を入れていったからこその結果です。このあたりは自ら書物を読み、現場に足を運ぶということで知ることができると思います。引き続きこの時代の歴史を学び、一人でも多くの方々に伝えられるようにしていきたいと思っています。

そして、生活している地域の郷土史を各地で教育に取り入れてほしいと思っています。

 

DSC_0699

DSC_0701

DSC_0704

 

 

▼毎週水曜日メルマガ配信中▼

斎藤慎也のメルマガ

 

斎藤慎也

Twitter:https://twitter.com/shinnemonsan

Facebook:https://www.facebook.com/shinya.saito.773

Instagram:http://instagram.com/shinnemonsan/

YouTube:https://www.youtube.com/user/shinemonsan7

NewsPicks:https://newspicks.com/user/104313/

Mail : info@saitoshinya.com