梁川城(伊達市梁川町)から見える半田山(桑折町)

今日は水曜日、朝7時に今週もメールマガジンを配信しました。今週も予定通り配信できて安心の水曜日であります。毎週やってくるこの感じ、悪く無し。

さて、上の写真は久しぶりに伊達市梁川町の梁川城跡に訪れたときに撮影したもの。城跡から東側を向いています。

時間帯は夕方。久しぶりに訪れた梁川城跡には、「政宗ダテニクルラリー2019」というスタンプラリーのスタンプが押せるボックスが設置されていて、今まで、歴史ある「心字の池」まで行けないようになっていた鎖も外されて入りやすくなっていました。あの鎖、意味不明でした。笑

心字の池」の前でゆっくりと時間を過ごしているのは私一人。癒される時間を過ごし、東側を見ると、上のような写真の景色が見えました。並んでいる木々は桜です。桜の季節には、ここが桜の花でキレイに咲き誇ります。

その木々の間から、桑折町の半田山が見えました。ここに城を築かれたのは伊達市ホームページによると鎌倉時代。その後、伊達氏が拠点として整備され、戦国時代には蒲生氏、上杉氏、の居城となりました。(ちなみに、上杉氏の時代は、須田長義公が城主でした。長義公の墓所は梁川町の興國寺にあります。)

そんな歴史のあるこの場所。城跡の場所というのは、人が必ずここに居ただろうと想像でき、もちろん、町中にもいたわけですが、ここに居た方々が見た景色は、今も変わらず半田山が見えていたのではないだろうかと思うと、不思議な感じもあり、ロマンを感じることもあり、です。

「残す」というのは、私が常に考えているテーマですが、この場所からのこの景色を残していけるのか。残していくのに自分ができることはなにか。足を運ぶとさらに考えることになりました。これが現場力であります。

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霊山登山で思う地元の歴史の残し方

今日から8月。福島県は梅雨明けし、毎日30℃超えになっています。実家の梁川町の最高気温が、全国の最高気温ランキングでランクインする季節がやってきた。毎年暑い福島県のなかでも、暑い町である。

さて、先月の下旬に伊達市霊山町の霊山を登ってきた。一緒に登ったのは、福島りょうぜん漬の漬物王子こと森藤洋紀さん( @ryozenzuke )。以前から霊山の歴史について、とくに北畠顕家公についてよくお互い知っていることを話てきた。

私は、ここ伊達市の霊山に北畠顕家公という後の天皇と一緒に入った人がいることに驚き、祀られている霊山神社があることにまた驚き、この神社が創建されたのは明治時代に入ってからという新しい神社であることを知り、私の知識の無さにも驚き、どんどんここの歴史に興味をもっていった。

主人公となっている時代小説「破軍の星」(北方謙三著)を早速探しに、文庫本が1993年なので福島の書店にあるかどうか不安だったが、福島駅西口にある岩瀬書店の文庫本コーナーに1冊在庫があった。即購入した。考えてみれば、福島県の郷土本コーナーに置いても良い書籍だろう。

昨年2018年は、北畠顕家公の生誕700年の年であり、伊達市の保原歴史資料館などで記念展示やイベントが開催された1年だった。もちろん、足を運び、知識の無い頭に少しずつ少しずつ霊山の知識を入れていった。

まだまだ知識不足だが、北畠顕家公と後の後村上天皇である義良親王が宮城県多賀城から霊山に移した拠点である霊山城へ足を運び現地で空気を感じたいと思い、以前から話していた森藤さんと登ることにしたのだ。

森藤さんは地元出身、小さいころから何度か登っているという。私は初めて。登山道、景色、全てが新鮮だった。登山道がよく整備されており、歩きやすいところを見ると、地域で守ってきていることがよく分かる。

山を登っていき約1時間くらいで霊山城跡に到着。城跡は平地になっており、義良親王と霊山城跡という大きな石碑があり、霊山城の歴史を伝える案内板がある。案内板は、歴史を知らない方に伝える大事な資料。ぜひ、これからも定期的に新しくし、時代にあった読みやすい形にしていってもらいたい。可能であれば、石碑の説明もほしいところだ。あと、休憩のできるベンチも。

地域の歴史は「残す」というキーワードが重要だ。残せない地域をいくつも見てきている。地元の梁川町にも残すことができなかった歴史的な場所がある。本当に残念だ。ここ霊山は、まだまだ残っている場所が多い。これを残していけるかどうかは、いまを生きる世代にかかっている。私はこの場所があることをとにかく伝えたいと、登山しながら思っていた。

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国見町の「あつかし歴史館」に行ってきました。

今日、国見町にある「あつかし歴史館」に行ってきました。

目的は、先日ここで発表会のあった福島大学の学生達が、この歴史館のある地域、「大木戸」地区を研究した資料が展示されているというのを知っていて、ずっと訪れてみたいと思っていたのです。

初めて訪れた歴史館は、平成24年に閉校となった大木戸小学校を改修したものです。

入口を入ってすぐに、床や壁など、たくさんの木材で暖かみのある内装になっています。この木材は国見町貝田地区から切り出された木材。地元産の内装になっています。入ってすぐの右の入口を入ると、国見町の歴史を伝える部屋になっています。こちらも内装が木材で暖かい感じになっています。

阿津賀志山防塁(あつかしやまぼうるい)、についてが展示されています。

時代は1189年。阿津賀志山の戦いの際に、源頼朝が奥州藤原氏を攻めるために、奥州に向かう際にここを通ると想定して藤原氏が3km以上にもわたる防塁を築いたものです。

歴史館には説明してくれる方がいらっしゃって、丁寧に説明してくださいました。なぜ、ここに防塁をつくったのか?福島から宮城県に行く道路を考えて見ると、予想できます。ここから先は山の間に奥州街道が通っていて、というかここしかない?ような地理になっているのです。ここを通るというのは予想できたのではないでしょうか。

上の写真に東北の地図があるのが分かると思いますが、源頼朝がどのようなルートで奥州に攻めていったのかが分かる地図になっています。奥州街道だけでなく、太平洋側のルートや日本海側ルートでも奥州平泉に向かったことが掲載されています。この阿津賀志山の戦いについて、私は勉強不足であることが、ハッキリと分かりました。地域のこと学ばなければ。

(内容を丁寧にお聞きしていたら、太田国見町長が訪れて、ちょっとビックリ!すぐに分かりました。「あ、町長だ。」と思った瞬間に、「どうぞ、お気になさらずに、続けてください。」と声をかけてくださいました。)

 

ここから教室を移動して、福島大学の生徒さん達が研究発表した「大木戸地区」展示スペースへ。

この大木戸地区。昔の資料が結構保存状態が良い形で残っているとのことです。地元の区の倉庫や寺や神社、そして、個人の方々が守ってきた書類などが江戸時代から、いくつも残っているとのことです。

今回の発表は明治時代以降の資料から発表されています。若い学生さんが、地域の方々を協力して、歴史を学び、発表すること。とても素敵なことだなぁと思います。残していく、伝えていく、ということの大切さを、この展示で学びました。

できれば1月28日の学生さん達の発表を直接聞きたかったのです。これに参加できず本当に残念でした。。。また、今度、開催されるときには参加したいと思います。

 

偶然にも、今日4日の福島民友新聞の連載「まちかど物語」がこの「あつかし歴史館」でした。「形変え 生きる学びや」は、ここ大木戸地区に残っています。

 

国見町文化財センター「あつかし歴史館」 – 国見町ホームページ
http://www.town.kunimi.fukushima.jp/site/kanko/2582.html