いじめられていたから分かること

僕は小学生の頃、いじめられていました。

いじめられて、仲良くなって、転校して、いじめられて、仲良くなって、転校して、いじめられて、仲良くなって、というのが僕の小学校6年間です。

 

いじめられる理由は、やや運動できて、やや勉強できて、転校生で

僕は、運動神経がずば抜けて良いまでいかず、やや良いという感じ。平均よりはスポーツテストでも上回り、チームスポーツでも1番にはならず3番か4番目という位置が多かった。

勉強もずば抜けて良くなく、平均よりやや上回っている感じ。

それで小学校を3つ通いました。この中途半端な感じの人間が転校してくるとなんとなく微妙に目立ってしまうんですよね。あと4年生のときの最後の転校したときは、骨折もしていて左ひじにギブスをしたまま転校してきて、ちょっと運動できるみたいな生意気なことを口にしてしまっていたのが原因だったと思い出します。

 

いじめが落ち着いた理由

小学校5年生くらいから僕に対するいじめは減っていった。理由はサッカーにどっぷりはまったこと。このどっぷりはまる物ができたことはとても助かった。はまるものがないと、なぜ自分はいじめにあうのか。いじめるやつが憎い。こんなことばかり考えてしまう。そんな時期もあった。なぜ、僕はこんなに転校するのか!と親を憎んだこともある。言ったこともある。そんな中、親はこんな僕に、必ず学校に行くように言い続けてくれた、感謝している。

 

いじめられていたからいじめられる気持ちが分かる

いまの時代のいじめと僕の時代のいじめの内容は違う。あなたと僕のいじめの内容は違う。という声はあるだろう。でも、内容は違うとしても感情はかなり近いものがあるのではないだろうか。いじめられるってかなり孤独。まわりの人も助けてしまうと自分もいじめられてしまうから話しかけることができない。その状況も、内容は違うとしても分かる。

自分の経験からしか言えないけど、「どっぷりはまる物」を見つけるのが、結果として僕の解決策となった。授業が終わればサッカーに行き、サッカーのチームメイトやクラスの人にサッカーの話をして、サッカーの練習が終わればサッカーの話をして、完全に「サッカーばか」になった。小学校卒業の寄せ書きには「サッカーばかにならないように」って書かれたくらいだ。笑

 

いじめられていた経験から失ったもの

いじめられていた時期は、自分の意見を全く声に出して表現することが許されなかった。嫌われないように、必死になるので、余計なことは言えない状態にしなくてはならないからである。それが原因かどう確定はできないけど、自分の意見を主張することがなかなか若いときは出来なかった。20代後半に、だんだん言えるようになってきて、現在経営者としては、言えないといけない立場となったため、また言えるようになってきている。

ただ、若いときからこの原因が無かったら、もっともっと発信できるのかもしれないと考えている。なので、ブログでもツイッターでも自分の意見を発信できるようにして、原因がなかったらもっと発信できていたレベルに戻さなければならない。

 

 

いま、いじめにあっている人がもしご覧になってくれていたら、ぜひ「どっぷりはまる物」を見つけてください。もし、それっぽい物がいま目の前にあったら、はまってしまってください。解決策の例が僕しかないですが、どんどんいじめが無くなっていったのは事実です。「いじめ」という事実は僕の中では無くならないだろうと思っています。それは「いじめている」という感覚が、いじめ側で持っていないからです。だとすれば、「いじめられている」という感覚を無くすようにするしかないのです。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です