須田長義公の墓所、梁川町の臥龍山・興國寺。

須田長義(すだながよし)公は、上杉家の家臣。1598年、上杉景勝が会津に移封されたときに、梁川城主(20,000石)になった武将。

 

先日、記事に書いた関ヶ原の戦いの際に、福島城の本庄繁長と共に福島口の守備を担当。

本庄繁長公の墓所、長楽寺に行ってきました。

10月6日の戦いで福島城は伊達勢に包囲され、城方将兵三百余の死者を出していたが、長義旗下の車斯忠らの部隊は、国見山へ引き揚げ中の伊達の後続の小荷駄隊を急襲し、小荷駄奉行の宮崎内蔵助と人足勢を大いに打ち破るという武功を挙げた(松川の戦い)。 ※ウィキペディアより

 

 

 

 すぐ左に看板があります。

廟の中に3つ墓石があり、中央が長義公、右が父満親公、左が(お菊の方)

菩提寺である、臥龍山・興國寺(がりゅうざん・こうこくじ)は、須田長義公が梁川城築城の後、菩提寺の建立を図り、現在の土地にした。山号・寺号は信濃国須坂の旧称をそのまま踏襲。

自分が生活している土地の歴史を知り、お墓参りをすることで自分の町が好きになり、伝えていきたいと思うものです。

みなさんは自分の生活している土地、生まれた土地の歴史を知っていますか?

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