本庄繁長公の墓所、長楽寺に行ってきました。

本庄繁長(ほんじょうしげなが)公は、戦国時代の武将で、上杉氏の重臣です。

火坂雅志著の天地人を読み返していて、ふと関ヶ原の戦いの時の福島城はどうだったのかが気になって調べたところ、本庄繁長公であることが分かりました。

関ヶ原の戦いの際、上杉景勝公の重臣であった本庄繁長公は、福島城に入り、奥羽の伊達政宗と戦うことになります。結果、福島城を死守しました。

その本庄繁長公が、現在の福島県庁の近く舟場町にある長楽寺が墓所であることを知ったのです。

 

 

慶長18年(西暦では翌1614年)12月20日没。享年74。上杉景勝は繁長の武勇を称え、故人に「武人八幡」の称号を与えた。法名は憲徳院殿傑伝長勝大居士。墓所は福島県福島市の長楽寺。長楽寺には繁長の木像が安置されており、毎年9月に行われる供養祭には一般公開されている。 ※ウィキペディアより

 

扉の窓の隙間から奥をのぞいてみると、木像を見ることができます。

お寺の中にポツンとこの建物があるのですが、本庄繁長公の墓所であることの説明は全く書かれていません。最初はお寺の中を歩きましたが発見できず、本堂で確認しました。本堂の左側の先にあります。

上杉家ゆかりの地には、なぜか昔から足を運んでいることが分かります。

歴史が好きになり、上杉家のことを勉強するようになったのも25歳以降ですが、上杉神社のある米沢には大学時代20前後の頃から毎年行くようになっていましたし、新潟県村上市にキャンプにいったり、村上市にある瀬波温泉には定期的に行っていました。この村上市、本庄氏が居た土地です。私が現在生活している梁川町も関ヶ原の戦いの際、梁川城は上杉家の居城で上杉景勝の重臣・須田長義が置かれました。

自然に足を運んでいることに運命を感じます。

 

 

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