ロンドンオリンピック前、女子ワールドカップドイツ大会で優勝した後に、佐々木則夫監督が書かれた本を読みました。
メモをいくつかご紹介します。
「教えすぎ」が問題になっている。
今、サッカー会では指導者の「教えすぎ」が問題になっている。自分の蓄えた知識を必死になって選手の頭に詰め込もうとする指導者が後を絶たない。でも、本当の指導者とは、「サッカーのやり方」を教える人ではない。「サッカーをやる」選手を後押しする人なのだ。
サッカーは、指導者から「教えられる」「育てられる」のではなく、自ら工夫して「学ぶ」「育つ」もの。そう考えると、小沼先生(帝京高校監督)は、時代を先取りしていた指導者だとも言える。
佐々木監督が、帝京高校時代の小沼監督の指導方法が今のなでしこのマネジメントの原点になっているのではないだろうか。
僕もサッカーを高校時代していて、福島東高校の原監督には、マネジメントを教えられた。とにかく、練習中に考えさせる指導方法だった。プレイを止めて、選手の意見を聞く、意識を確認するという指導だった。この発言するときに間違っていたらというプレッシャーに負けて、何も発っすることができないこともあったが、意見が言えないときが一番良くないと指導された。今の僕のマネジメント理論の原点にもなっていると思う。
逆境から学び、育つ
思い返してみれば、僕は高校に入る前からも、知らず知らずのうちに指導者としての修行を積んでいた。
小学生時代には毎年のように転校を繰り返した。僕以外のクラスメイトはみんな仲間、僕だけがその全員と初対面。そんな場所に溶け込むために、僕は自己主張ばかりでなく、相手の性格やクラス内の人間関係を知ろうと思った。「目の前の人をよく分かりたい」と思う感受性は、子ども時代に作られたのだと思う。
僕も小学校を3つ行っている。全て福島県内だけど、桑折町、いわき市植田、福島市伏拝、とそれぞれ距離が離れているため、毎回の転校は知り合いが一人もいない環境に入っていった。正直、当時はかなり辛かった。佐々木監督は毎年でもっと大変だったと思うけど、僕の違いは2~3年一緒に過ごしてきた仲間は、仲良くなってこれからますます仲良くなる時期にもなる。
僕の失敗は、佐々木監督のように「自己主張ばかりでなく」が少し怠ってしまっていた。「僕はこれができるよ」みたいな話をしてしまっていたのを思い出す。これが原因でたぶんいじめにあっていたんだろうと反省する。途中から言わされていたような気がする。実はその光景を20年以上経った今でも思い出すことができる。校庭のあの場所であんなことを、と。
でも、あの時代、辛い思いを知っているからこそ、佐々木監督の言う「目の前の人をよく分かりたい」という感受性、同感です。いじめにあってから、とても考えるようになった。なので、いじめという辛かった時代も今の僕を作っている。
Jヴィレッジはフランスのクレールフォンテーヌを参考にしている
フランスサッカー協会は1990年、男子の若手選手を育成する機関、INF(国立サッカー学院)を創設した。活動の拠点となっている施設は、クレールフォンテーヌ国立研究所。56ヘクタールの敷地内に6面の芝生のピッチ、2つの人工芝ピッチ、加えて、室内ピッチやトレーニング施設、寮施設、レストラン、メディカルセンター等が設置されている。
ここで、男子フランス代表をはじめ、男女各年代の代表合宿が行われている。日本のJヴィレッジも、このクレールフォンテーヌに倣(なら)って作られた。
そして1998年、クレールフォンテーヌに女子の育成トレーニングセンターCNFEが創設された。これが現在のフランス女子サッカーの進化につながっている。
福島県にあるJヴィレッジ、高校時代、チームや選抜チームで何度も利用していたこの地がフランスのクレールフォンテーヌを倣っていることは知らなかった。恥ずかしい。。。
コラム:グー太「ボクとパパ」
宮間あやさんや木村和司さんなどのコラムも入っているのだが、最後のコラムが愛犬のグー太くんです。
パパは一番に、ボクにメダルをかけてくれるんだ。ドイツワールドカップの決勝はボクの誕生日だったから、「お誕生日プレゼント!」って、金メダルをかけてくれたんだよ。
ロンドンオリンピックも、ちゃんとお留守番するから金メダル待ってるね!
かわいい。
まとめ
上記以外に、ドイツワールドカップの試合での選手起用や、試合前日での宿舎での様子など、具体的に書かれています。
なでしこジャパンのあの素晴らしい雰囲気を出せるのは、佐々木監督だからこそ出来ること。
そして、女性と仕事をしている方々には参考になる本となるのは間違いないと思います。