伊達市霊山町掛田にある茶臼山(225m)に登ってきました。戦国時代まで懸田城があった山城です。
霊山に霊山城があったことから、霊山町の中心部近くにも城があったのではないか?掛田あたりに?と調べたり聞いたりしていたがようやく登ることができました。
歴史を調べれば、南北朝時代に築城。霊山城に入った北畠顕家公の命を受けて作ったと言われています。城主の子孫はその後、懸田氏を名乗ります。
戦国時代に、伊達氏が居城していた桑折町の桑折西山城を中心に起こった「天文の乱」において、ここ懸田城が重要な拠点となっています。不思議なものでこうやって興味をもった場所というのは自然と自分の生活している場所と繋がっているものです。
225mと低山で、登り口から山頂まで約15分前後です。登山道は整備されていてとても登りやすかったです。途中にあるいくつかの広場もキレイに草刈りされていたり、ベンチやテーブルが整備されています。山頂の本丸跡もキレイでした。
最後の懸田城主・懸田俊宗公の夫人は伊達稙宗公の娘で懸田御前と呼ばれました。茶臼山にはその懸田御前の観音堂があります。平成31年に再建されており、山の中の整備や観音堂の再建などから、地域の方々が守っていることが伝わる低山トラベルでした。
YAMAPに茶臼山の登山を投稿しました。写真掲載しています。