小手姫伝説を知る。

 

小手姫(おてひめ)伝説を初めて知りました。
今日、川俣町に志学白雲館の渡邉さんとランチに行ってきて、
梁川に戻る途中で中央公園に立寄ました。
ここに小手姫像があるというので、山をのぼって見てきました。
その像が上にある写真です。

 

写真の隣にある説明が下の写真。

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「遠く都から」と書かれていますが、
家に戻ってきてから調べてみると第32代天皇・崇峻天皇(すしゅんてんのう)の妃だったことが分かりました。
まだネットでしか調べていないのですが、
小手姫さまが奥州に流された息子・蜂子皇子(はちこのおうじ)を探して奥州に向かい、
川俣町に辿り着き、故郷の大和と川俣町と月館町の風土が似ていたことから、
ここにとどまり、養蚕を伝えたとのことです。

蜂子皇子と会うことができないと思った小手姫さまは川俣町の清水に身を投げて亡くなり、
現在の女神山に埋葬されたといわれているようです。

小手姫伝説、全く知りませんでした。
知るキッカケになりました。今度図書館などで郷土本を調べてみようと思います。

天皇の妃が、川俣の地にとどまり、養蚕を伝えたという町として大きな伝説だと思いますが、
川俣町のホームページにはこの内容が全く掲載されていませんでした。
ぜひ掲載して、発信してもらいたいです。

 

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