スマホ対応していないサイトはスマホでの検索で順位が下がることに。すぐに確認しよう。

先日、Googleのウェブマスターツールブログで4/21に大きなアルゴリズム変更を行うと発表があった。内容はスマホ対応していないサイトはスマホでの検索順位を下げるというもの。

上の私がスマホで検索したスクリーンショットを見ると分かるが、以前から検索結果のタイトルのすぐ左下に「スマホ対応」と表示されるようになった。ちなみにPCで検索しても「スマホ対応」とは表示されない。(「飯坂線 ノルカ」で検索したら、このブログが1ページに2つ記事が結果として出ていた。嬉しいこと。)

「スマホ対応」の表示が始まったときに、いよいよランキングにも影響が出てくるだろうと予想していたが、はっきりと日程も伝えて発表したところを見ると結構大きな変動になりそうだ。

アルゴリズム更新は4/21。まだ時間あるので、早めにスマホ対応にしましょう。WEBサイトを制作した会社や社内のIT担当者、日頃修正など頼んでいる会社などに連絡して確認しましょう!

スマホ対応になっているかどうかは、GoogleのモバイルフレンドリーテストでサイトのURLを入力し分析をクリックするだけ。ここで問題なければとりあえず大丈夫。まず分析してチェックしよう。

 

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やながわ希望の森公園前駅にある周辺地図が新しくなって機械的な感じに変わっていた。

先日、Twitterのタイムラインを見ていたらやながわ希望の森公園前駅にある周辺地図が新しくなっていることが流れてきた。

 

 

知らなかったので、当日の夕方さっそく見てきた。それが、一番上にある写真。

パッと見て感じたことは機械的だなということ。周辺の施設はある程度書かれているのだが、正直全く面白くない。しっかり道が書かれていて、数カ所現地の写真が掲載されていて、道に迷うことはないだろうなぁ、という感じ。いわゆる「優等生」と言ったところか。リスクヘッジをしているということを感じてしまった。

実はこの周辺地図が設置される前に、大きな地図が昔から設置されていた。いまは撤去されてしまったので、写真を撮っておけばよかったと後悔。ネットで画像検索しても出てこない。。。

あ、Googleストリートビューならまだ残っているんじゃないかな!?と思いついて調べたら残っていた!!よかった!便利だなー。いつまで見れるかな。期間限定になりそうだ。

 

 

私はこんな感じの暖かみのある雰囲気の地図の方が好きだった。この地図だと周辺地図より広範囲になっているので、もっと狭い範囲のものを大きく描き、このようなイメージで新しく作ったら雰囲気良かったんじゃないだろうか。

リスクヘッジは行き過ぎるとつまらなくなる。

 

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福島県内30エリアでリアル宝探しが開催中、コードF-5。

来月4月1日から福島県内では、ふくしまデスティネーションキャンペーンが開催される。開催前の最後の日曜日は、各地でPRイベントが行われている。

3月20日から福島県内30エリアで無料で参加できるリアル宝探しが開催中だ。コードFー5。企画はタカラッシュで、全国で宝探しイベントを企画している。今回の福島は数字でも分かるとおり5回目。何回目か忘れたが、以前に参加したことがある。

コードF-5~福島に咲く神の花伝説~
http://www.takarush.jp/promo/fukushima5/

前回のコードFー4は20エリアだったから、今回さらに10エリア増えて30エリア。相馬市から南会津まで、各地にあることが分かる。

codef5yanagawa

ちなみに伊達市は梁川町がエリアになっている。宝の地図がダウンロードできたので、してみたけどなかなか難しい。以前より難易度が上がっているな。

クリアして抽選で当たる商品も豊富。いわき湯本温泉賞として宿泊4万円分や福島の地酒、ワカサギ釣り体験などほかにも沢山用意されている。30エリアを制覇すると当たる確率がアップする仕組みだ。

宝の地図は福島県内の高速道路サービスエリアやパーキングエリア、観光施設に置かれているので、ぜひ手にとってみてほしい。宝が置かれている可能性があるのは、各地の歴史ある場所だったりするので歴史を学べる機会にもなるのが良い。地図を見て謎をといて歴史を見てと福島県内で楽しんでもらいたい。

私もまずは伊達市(梁川町)の謎を解いてみよう。

 

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オグリキャップのことから新生活の学生や社会人を応援する「あぶくま抄」が良い。

福島民報のコラムに「あぶくま抄」がある。最近のあぶくま抄が面白い。先日27日の朝刊に掲載された内容が特に良かったので紹介。 福島民報のサイトで読むことができる。

あぶくま抄(3月27日)
http://www.minpo.jp/news/detail/2015032721791

30年前の3月27日に生まれた有名な芦毛のサラブレッド「オグリキャップ」が、血統はそれほどよくなく、生まれてすぐに脚に問題があることが判明する。

そんなオグリが有馬記念を制するなど、結果を残したことを知っている人も多いだろう。私はオグリが引退したあと北海道で放牧されていた牧場を訪れて芦毛だった色が白に近い毛になっているところを見たことを忘れていない。

オグリのように諦めず、はつらつ(オグリの以前の名前が「ハツラツ」)と生きれば必ず報われる。というようにこの春に希望とは違った先に進路を進む若者にエールを送る。

オグリキャップの話から新しい進路に進む若者へのエールになるとは予想していなかった。楽しく読ませてもらった、また、私へのエールにもなった。

 

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大枝城跡に行ってみた。サンドウィッチマン伊達みきおさんとの繋がりを発見。

先日のブログで、関ヶ原の戦いの際に北の関ヶ原の一つで梁川町も西軍と東軍の戦いがあったことを書いた。

梁川八幡神社がふくしまデスティネーションキャンペーンに向けて整備されていた。

その戦いで梁川城は西軍の上杉軍の城主・須田長義公が。北から東軍の伊達軍が梁川城を攻略するため進軍してきた。その拠点となったのが、「大枝城(おおえだじょう)」である。先日ブログを書いてから、しばらく城跡に行っていなかったのであらためて天気の良いときに行ってきた。

ネットに「伊達郡大枝城主大條氏」という記事が詳しく書かれていたので、図面を印刷して自転車に乗って出掛けた。

梁川町の市街地を走る国道349号線を北に向かっていくと阿武隈川を渡る大きな橋が見えてくる。

梁川町、阿武隈川

 

橋を渡るため、この坂をのぼっていくと大枝城跡が見えた。川を渡って中央やや左にある山が大枝城跡。

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橋を渡って最初の信号を左に曲がる。

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曲がったあと、この道を真っ直ぐ。

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上の写真の一番奥あたりに、「大枝城跡」という看板が出てくる。ここを左へ。では、ここから持っていった図面も使って照らし合わせてみていこう。ここは①。

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左に曲がってから真っ直ぐ行くと、キレイな坂道。

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ここを上りきったところに「大枝城本丸跡」の看板。②

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左に曲がると果樹園が広がる。奥が二の丸跡。

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写真の奥を左に曲がる。

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やや坂になっているところ上っていくと土塁がはっきりと分かる状態で残っている。③

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更に上っていくと、突き当たる。「土塁・空堀」の看板。④

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ここを右に曲がると「本丸跡」へ。

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さらに奥に歩く。ベンチや石碑が見えてくる。本丸跡の石碑。⑤

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石碑。あれ、白黒で撮影した記憶ないけど。

DSC_0097-EFFECTS

 

もう一枚。

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ここから梁川城方面を見る。伊達軍はこの阿武隈川の奥にある梁川城を攻略しようとここから見ていたことになる。ちょうど中央くらいの町の中に木が数本見ることができるがあのあたりが梁川城跡。⑥

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ちなみに西側は阿武隈川がキレイに見える。

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「帯郭(おびぐるわ)」の看板。土塁がしっかりと残っている。⑦

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石碑の後ろにあった。夫婦の木という感じか、すぐ左の木がそんな感じだった。これは後日、情報が入ればまた書こうと思う。

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本丸から同じ道を戻る。④の「土塁・空堀」の看板あたり。

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④から空堀が見える。

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同じ道を戻る。③から二の丸跡を見る。現在、果樹園になっている。

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土塁跡。しっかり分かる。⑧

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ここは⑨。中央奥に空堀がしっかり見える。

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住宅が見えるところが三の丸跡。住宅地になっている。⑩

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現在の大枝城跡はこのように400年前の雰囲気を残したままとなっている。

大枝城は、伊達氏第8代当主伊達宗遠の二男・宗行(第9代当主政宗の弟、ちなみに独眼竜の政宗は第17代当主、名前が同じだが違う)が築いた。そして大枝氏と称することになる。
大枝氏は第7代宗直のとき、1591年に豊臣秀吉によって奥羽仕置が行われ、伊達政宗が岩出山に移ることになり、この大枝城も没収された。その後も伊達家の家臣として働き、1616年には亘理郡坂元城主となっている。

最後の坂元城主となった大條氏第17代当主・道徳は明治時代に伊達姓に復し、名を伊達宗亮に改めた。

さて、ここでタイトルにもある芸人サンドウィッチマン伊達みきおさんの話になるが、このみきおさんが17代当主、大枝道徳であり伊達宗亮の玄孫なのである。大枝と伊達みきおさんがつながるとは今回大枝城のことを調べるまで知らなかった。また、伊達政宗とみきおさんは同じ誕生日9月5日。しかもこの日は私の誕生日でもある。これまた驚きだ。

ちなみに先日、NHKのファミリーヒストリーという番組に伊達みきおさんが出演し、NHKのウェブサイトにも大枝氏のことが掲載されている。

ファミリーヒストリー「伊達みきお~伊達の名に誓った覚悟とは~」

発見が非常に多い今回の大枝城跡訪問だった。桜がまもなく開花するので、桜でキレイになったときに訪れたいと思っている。

 

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