今日、国見町にある「あつかし歴史館」に行ってきました。
目的は、先日ここで発表会のあった福島大学の学生達が、この歴史館のある地域、「大木戸」地区を研究した資料が展示されているというのを知っていて、ずっと訪れてみたいと思っていたのです。
初めて訪れた歴史館は、平成24年に閉校となった大木戸小学校を改修したものです。
入口を入ってすぐに、床や壁など、たくさんの木材で暖かみのある内装になっています。この木材は国見町貝田地区から切り出された木材。地元産の内装になっています。入ってすぐの右の入口を入ると、国見町の歴史を伝える部屋になっています。こちらも内装が木材で暖かい感じになっています。
阿津賀志山防塁(あつかしやまぼうるい)、についてが展示されています。
時代は1189年。阿津賀志山の戦いの際に、源頼朝が奥州藤原氏を攻めるために、奥州に向かう際にここを通ると想定して藤原氏が3km以上にもわたる防塁を築いたものです。
歴史館には説明してくれる方がいらっしゃって、丁寧に説明してくださいました。なぜ、ここに防塁をつくったのか?福島から宮城県に行く道路を考えて見ると、予想できます。ここから先は山の間に奥州街道が通っていて、というかここしかない?ような地理になっているのです。ここを通るというのは予想できたのではないでしょうか。
上の写真に東北の地図があるのが分かると思いますが、源頼朝がどのようなルートで奥州に攻めていったのかが分かる地図になっています。奥州街道だけでなく、太平洋側のルートや日本海側ルートでも奥州平泉に向かったことが掲載されています。この阿津賀志山の戦いについて、私は勉強不足であることが、ハッキリと分かりました。地域のこと学ばなければ。
(内容を丁寧にお聞きしていたら、太田国見町長が訪れて、ちょっとビックリ!すぐに分かりました。「あ、町長だ。」と思った瞬間に、「どうぞ、お気になさらずに、続けてください。」と声をかけてくださいました。)
ここから教室を移動して、福島大学の生徒さん達が研究発表した「大木戸地区」展示スペースへ。
この大木戸地区。昔の資料が結構保存状態が良い形で残っているとのことです。地元の区の倉庫や寺や神社、そして、個人の方々が守ってきた書類などが江戸時代から、いくつも残っているとのことです。
今回の発表は明治時代以降の資料から発表されています。若い学生さんが、地域の方々を協力して、歴史を学び、発表すること。とても素敵なことだなぁと思います。残していく、伝えていく、ということの大切さを、この展示で学びました。
できれば1月28日の学生さん達の発表を直接聞きたかったのです。これに参加できず本当に残念でした。。。また、今度、開催されるときには参加したいと思います。
偶然にも、今日4日の福島民友新聞の連載「まちかど物語」がこの「あつかし歴史館」でした。「形変え 生きる学びや」は、ここ大木戸地区に残っています。
国見町文化財センター「あつかし歴史館」 – 国見町ホームページ
http://www.town.kunimi.fukushima.jp/site/kanko/2582.html