会津藩士の裁判の記録が会津若松で発見!明治政府との裁判で勝訴。

上の写真は昨日、7月9日の福島民友朝刊。
「会津藩士 裁判の記録」
と書かれた内容。

全く知らなかった裁判だった。
明治維新後、士農工商の身分制度がなくなったあとも士族(元武士)に支払われていた家禄(給金)。
明治9年に秩禄処分(ちつろくしょぶん)があり、明治政府は財政難のため秩禄(給金)制度を廃止。そのかわり、給金を基にした公債を発行。
旧会津藩士はその公債発行が除外されたという。除外された理由はわかっていないようだ。

旧会津藩士は明治42年に明治政府を相手に公債交付を求め裁判を起こし、約9年後に勝訴。
旧藩士3千人弱に対して、公債が交付。その後も斗南藩領への移住時に「無縁」だった旧藩士約900人への交付も認めさせた。
民友の当日朝刊、22面にも関連記事が掲載されていて、そこには交付を記念して会津若松市の七日町駅そばにある阿弥陀寺に記念碑が建立されたことも書かれている。
この裁判で勝訴したが、訴訟費用がふくらみ、手元にはわずかな金銭しか残らなかった。それでも、この記念碑を建立した。その理由として、記念碑に書かれている内容が心に刺さる。

『碑文には「金銭のためでなく他藩士との釣り合いを考慮、同じ待遇を得ようとした。」との趣旨の言葉を刻んだ。」

裁判記録の調査の依頼を受けた会津幕末史研究会の簗田直幸会長(62)が今回の発見についてこう書かれている。
「社会構造が大きく変わった明治・大正期、旧会津藩士は誇りを失わず、裁判を通して権利を主張して政府と闘った。この裁判記録は戊辰戦争の敵討ちだったのかもしれない」

会津人の誇りが伝わってくる裁判資料。恥ずかしながら、私はこの裁判があったことを知らなかった。
発見され、史料を読み解き、これからの会津の歴史を伝えていこうと伝わるニュース。

福島民友さんがこの史料が発見されたという記事をトップに掲載したことに、郷土史の大切さを考えていると伝わってくる。素晴らしい掲載内容だった。これからも、会津について、福島についての郷土史を伝えていってほしい。

福島民友のWEBサイトにも少し掲載されています。
旧会津藩士、裁判の記録 若松で大量に見つかる(福島民友ニュース)

 

 

Facebookページはじめました。
saitoshinya.com ページ

 

【メールマガジン毎週水曜日配信中】
https://saitoshinya.com/?page_id=49

 

斎藤慎也

Twitter:https://twitter.com/shinnemonsan

Facebook:https://www.facebook.com/shinya.saito.773

Instagram:http://instagram.com/shinnemonsan/

Mail : info@saitoshinya.com

 

 

赤べこが復活したみたいです!よかった。

こんばんは。
昨日、会津に行ってきて夜に赤べこを修理している写真を載せました。
そして、今日Twitterに復活した写真がツイートされていました。
よかった。

会津には「赤べこ伝説」があります。
会津若松市の観光ビューローサイトに掲載されていますので、ご紹介します。
http://www.aizukanko.com/kk/aibase/01shirou/bussan/bussan_akabeko.htm

807年頃、柳津虚空蔵尊やないづこくぞうそん「圓蔵寺えんぞうじ」を建立こんりゅうする時、難工事なんこうじでこまっていたところ、どこからともなく赤い牛があらわれ、大変な働きをして工事を助け、無事完成したと言われています。以来「幸せを運ぶ牛」「子どもの守り神」として多くの人に愛されてるのです。

今でも厄よけのお守りとして重宝されています。
早く治って良かった。
素早く対応し治すことにした地元の方々、素晴らしいですね。

 

 

会津若松駅の赤べこ

こんばんは。
今日は会津で仕事で、さっき帰ってきました。

会津若松駅前に大きな赤べこが置いてあるのですが、
先日壊されたみたいで、修理していました。

DSC_0468

早く今までの駅前の様子に戻ってほしいですね。
壊した人許せません。

会津若松駅の駅舎内に東京からの応援メッセージが展示されていました。

DSC_0466

DSC_0467

メッセージがかかれている紙が赤べこになってます。
改札を出て正面にありますよ。

1番ホームに新しく待合室が出来ていました。
室内の待合室がホームになかったので、助かりますね。

DSC_0470

今日は寒くもなく暑くもなくという気温だったので、待合室は私一人で使わせてもらいました。笑

 

 

会津藩初代藩主・保科正之公のお墓参り。土津神社へ。

会津若松市の会津藩歴代藩主の墓所、院内御廟から猪苗代町へ移動し、会津藩の初代藩主・保科正之公の墓所、土津(はにつ)神社へ。院内御廟は二代藩主からの墓所で、初代藩主が眠るのは猪苗代町。前回訪れたのは4月上旬でまだ雪があった。約1ヶ月半ぶりに訪れた。
今回、5月23日は雪が溶けており、前回土津神社の奥にある保科正之公墓所・奥の院参道は雪が積もっていて入ることが出来なかったが、しっかりお墓参りすることができた。写真を撮ってきたのでいくつか掲載する。

一番上の写真は土津神社入口。白の鳥居が見えてくる。

 

白い鳥居。

DSC_0426

 

拝殿の周りには保科正之公の家臣が祀られている。いまも殿を見守り支えているようだ。

DSC_0427

 

DSC_0428

 

拝殿に向かって右に進むと、保科正之公墓所・奥の院参道となる。ここから歩く。

DSC_0429

DSC_0430

DSC_0431

DSC_0432

 

到着。

DSC_0433

 

門には葵の御紋。

DSC_0435

 

会津中将源君之墓。その奥に鎮石。

DSC_0434

 

ここに初めて訪れたこと、院内御廟に訪れたこと、14代当主・松平保久さんの講演を聞いてきたことをご報告。

登ってきた道を戻る。

DSC_0436

 

拝殿の前にある碑石。院内御廟と同じく神獣・亀趺(きふ)がお墓を向いて守っている。この碑石は正之公の生い立ちから業績など1943文字が刻まれており、日本最大のもの。

DSC_0437

前回訪れた際にもブログに書いたが、この土津神社は日光東照宮と比較されるほど絢爛豪華だったといわれている。戊辰戦争の際に消失した。今回訪れたときにも、当時どんなに豪華だったのだろうかと思ったと同時に、キレイに整備され守っていくと地元の人の気持ちが伝わってきて素晴らしい場所だ。

初代藩主・保科正之公から院内御廟の二代から九代藩主の松平容保公、そして、容保公の墓所の左側にある松平家のお墓を全てお墓参りした日になった。静かに会津精神を学ばせていただいた日になった。

前回訪れた土津神社のブログ
https://saitoshinya.com/?p=3919

 

<参照サイト>
土津神社 | 八重が学んだ「精神」 | 八重のふるさと、福島県

 

 

会津藩主・松平容保公のお墓参り。歴代会津藩主が眠る院内御廟へ。

先日23日、全国城下町シンポジウム会津大会のオープニングフォーラムの会場、会津風雅堂で会津松平家14代当主の松平保久さんの講演とパネルディスカッションを観終わったあとに、歴代会津藩主の墓所である院内山に向かった。
今まで、雪が積もっていたり、雨で地面がぬかるんでいたりで入口から少し入ったところまでしか行けなかったが、今回初めて9代藩主・松平容保公の墓所まで行くことができた。初めて訪れた院内山の墓所、歴代藩主のお墓の大きさや整備がキレイにされていることに驚き、会津の人達がまもってきたことが伝わってきた。写真を数枚撮影してきたので掲載する。

一番上の写真は墓所の入口。

 

入口にある看板。山が墓所になっていることが分かるだろう。英語表記もあり、外国人向けにも対応している。

DSC_0410

 

看板に向かって右が入口。静かな空気が流れる。

DSC_0411

 

ここから歩いて15分〜20分ほどで、三代、五代、六代、七代藩主の墓所がある場所に到着。すぐ左を観ると、大きな碑石が並ぶ。見えているのが手前から五代、六代、七代の碑石である。

DSC_0424

 

そして正面には、三代藩主・正容公のお墓。手前右側に碑石、ここには故人の姓名・生い立ち・人柄・業績・孝徳を称える文が刻まれている。見上げた上には故人の諱(生前の名)と官位・身分などが刻まれた表石。そしてその奥にご遺体があり霊神名が刻まれている鎮石(ちんせき・しずめいし)がある。

DSC_0418

 

三代、五代、六代、七代と並んでいる奥に、幕末の戊辰戦争時に藩主だった九代松平容保公のお墓がある。

DSC_0422

 

表石の前で静かに結構長い時間、手を合わせていた。初めてここに訪れたこと、先ほど14代当主の保久さんの講演を聞いてきたこと、を報告。

DSC_0420

 

碑石の下にはお墓の方を向いて守っている神獣・亀趺(きふ)が確認できる。各歴代藩主のお墓を守っている。

DSC_0423

 

御廟内、とてもキレイに整備されているのが写真からも分かるだろう。会津若松市に訪れた際は、院内御廟にもぜひ訪れてもらいたい場所の一つだ。会津藩主の偉大さを感じることができるだろう。

 

<アクセス>

 

<参照サイト>
松平家墓所|観光スポット|会津若松観光ナビ

会津藩主松平家墓所 | 八重が学んだ「精神」 | 八重のふるさと、福島県