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【書評】保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主

「保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主」中村 彰彦

会津藩祖である保科正之について書かれている本。秀忠の子であり、三代将軍家光の弟が会津藩祖だったということは福島の人も知らない人が多いのでは。私も詳しく知らなかったので、保科正之の本やNHK・Eテレの知恵泉などから学んでいます。

保科正之は四代将軍家・家綱の補佐役として支えていきます。家綱が政策を実行したことにするために、正之が提言し実行したという文書などは自ら燃やしたという話もあるだけに、資料が少ないとのこと。

一つチームをまとめるということで書かれていた内容を一つ。会津藩23万石の大名だったわけですが、1万石以上の家臣はつくりませんでした。仙台藩には片倉家で1万8千石という有名な家臣がおりますが、当時の会津藩家臣は一番多くて3千石ほど。
それは、多くの家臣を藩主の近くに置くことができると考えられたわけです。例えば1千石の家臣を10人で1万石になるわけですが、1万石の家臣を一人おくとその下に10人おかれ、その10人の主君は1万石の家臣になるわけです。
しかし、藩主のすぐ下に1千石の10人を並べることで近いところで雇えることになるわけです。そのために多くても3千石という政策になったと言われています。
現代でいうと、1社員が課長や部長に話をとおしてからという縦の流れが減るということで社長に話が届きやすくなるという意味になるでしょう。江戸時代に正之はそれを実行し会津藩をまとめていたと考えられます。

寛文8年(1668年)に『会津家訓十五箇条』を定め、第一条に「会津藩たるは将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記し、以降、藩主・藩士は共にこれを忠実に守りました。幕末の藩主・松平容保はこの遺訓を守り、佐幕派の中心的存在として最後まで薩長軍と戦うことになるわけです。

大河ドラマで八重の桜を放送したばかりですが、会津藩の保科正之、または松平容保を主人公に放送してほしいものです。

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斎藤慎也
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