超地域密着マーケティングのススメ、平岡智秀著

著者の平岡智秀さんは、1979年生まれで同じ歳。和歌山県の水道工事店の家業を20歳で引継ぎ、1部上場企業メーカーのキャンペーンで大手をおさえて個人商店で2年連続1位を獲得された方である。

 

読書メモを少しご紹介

・少ない人材でも与えられるお客様との「ストーリー」を提供すること。

・お客様の人生というストーリーに「あなた」をどうやって登場させるのかということを考えるシステム化が大切。

・地域密着のビジネスはお客様を守る考え方を広めること。

 

お仕事させていただいているクライアントは、地域密着型の企業・事業主さんがほとんどのため大変参考になりました。平岡さんは、本の初めに「泥臭い」という言葉を使っているところもあるのですが、読み進めて行くとITの勉強も大変されていることが分かります。ITを知っていたり、東京を知ったりしていることで、超地域密着型の話が出来るのだろうと思います。

あなたのお仕事は地域密着型ですか?オススメです。

 

【動画】やながわ希望の森公園のジャンボすべり台

福島県伊達市梁川町にある「やながわ希望の森公園」内にジャンボすべり台があります。

iPhone4Sで滑っているところを撮影しました。

 

梁川町を知ってほしい

福島市から北東に約20km、宮城県境に位置しており、阿武隈急行線が通っている場所です。なかなか、梁川町まで行く機会がないという声を聞きますので、このような動画を撮影し見てもらうことで、少しでも足が梁川町に向くようになってもらえばと思いました。また、全国の方にも発信できますので。

 

Youtubeでの発信ノウハウの構築

どのようにYoutubeに投稿するのか。どのくらいの時間が見やすいのか。コンテンツは何がささるのか。をいろんなパターンで撮影公開していくことで見えてくるものがあります。そのノウハウ構築により、クライアントに「動画」というコンテンツの提案が増えると考えています。変わりに撮影して、変わりにアップするという方法もあると考えています。

 

動画広告収入

Youtubeには広告を設置することができるので、設置しての広告収入を得ることができます。これはブログと同じで「塵も積もれば山となる」で投稿する数に比例して全体のアクセスは伸びて行きます。少しでも自分のメディアの一つとして収入が上がっていけばと思います。

 

では、「やながわ希望の森公園ジャンボすべり台」をご覧いただきましょう。

 

 

やながわ希望の森公園 地図

住所:福島県伊達市梁川町内山1−1


大きな地図で見る

 

 

『天地人』火坂雅志著を読み返して思うこと

2009年のNHK大河ドラマとなった「天地人」の原作である火坂雅志著を読み返しました。定期的に読み返しています。

天地人の主人公は、戦国時代の上杉家執政、直江兼続公。上杉の「義」の心を上杉謙信公から引継、戦国時代を駆け抜けていき、関ヶ原の戦いで敗れた西軍石田三成公側についた。

大河ドラマで関ヶ原で敗れた西軍に付いた武将が主人公になったのは初めてのことだった。

 

現代に生きる私が、「義」の心、「仁愛(人を思いやる心)」を持って出来ることは何なのか?今していることは、「義」であるのか?考えながら読み進めていった。読んでいるうちに、自分が手掛けているサービス、これかやろうか考えていたサービスが、そうではないと思い、実際に止めたものもあります。

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福島県立図書館を活用する。

福島県立図書館から定期的に本を借りていますが、行く前に調べたい本があるかどうかHPで検索してから行くようにしています。

福島県立図書館HP

左上に検索窓があるので、ここで調べたいキーワードを入れてどんな本があるのか?貸出可能なのかを調べることができます。

今回は、「立花宗茂」の文献がないか調べて、時代小説などあったので借りてきました。他に、「地域密着マーケティング」、「温泉旅館の女将のエッセイ」、「農業」の本など一緒に借りました。

税金を払っているからこそ、このようなサービスを受けられるわけであり、どんどん活用した方がいいなと最近特に思います。学生時代は勉強する場所がメインに考えていましたが、『図書館を活用する=税金』と考えるようになったのは、独立しフリーランスになってからですね。

 


引き続き活用していこうと思います。みなさん、図書館行ってますか。

 

 

須田長義公の墓所、梁川町の臥龍山・興國寺。

須田長義(すだながよし)公は、上杉家の家臣。1598年、上杉景勝が会津に移封されたときに、梁川城主(20,000石)になった武将。

 

先日、記事に書いた関ヶ原の戦いの際に、福島城の本庄繁長と共に福島口の守備を担当。

本庄繁長公の墓所、長楽寺に行ってきました。

10月6日の戦いで福島城は伊達勢に包囲され、城方将兵三百余の死者を出していたが、長義旗下の車斯忠らの部隊は、国見山へ引き揚げ中の伊達の後続の小荷駄隊を急襲し、小荷駄奉行の宮崎内蔵助と人足勢を大いに打ち破るという武功を挙げた(松川の戦い)。 ※ウィキペディアより

 

 

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