新島八重を知る

昨日の夕方、クライアント先で会議が終わったあとに会津出身の方と、新島八重の話になった。

八重さんの話というより、兄の山本覚馬さんの話が多かった。話していて、聞いていて、少し本を読んでおいてよかったと思った。

これからの大河ドラマのネタばれにもなってしまうので、細かくは書きませんが、戊辰戦争での会津にいた時のこと、戦争が終わったあとの京都での活躍など、なぜ今までこんな素晴らしい人材を福島県はもっと大きく取り上げて伝えてこなかったのか。。。そう言い合った。

これから大河ドラマが進むにつれて、ドラマを見るのも必要だし、文献を読んで勉強して、できるだけ話ができるようにしておくことが必要ではないだろうか。

ドラマの舞台は福島県会津。そして、仕事している場所は福島。仕事相手も福島の人も多いだろう。

営業していく上で、必要となる場面がこの1年多くなっていくと思う。

 

ということで、「新島八重その生涯」不破俊輔著を読みました。

写真

会津戦争の厳しさが書かれています。知らなかったことが多かったので、恥ずかしく。そして涙しました。

本の中の一つをご紹介します。

日本や支那は婦人に学問を教えてこなかった。これからは婦人にも男子と同じような学問を与えるべきだ。国家を治めるのは人材だが、その優秀な子を育てるには夫婦が聡明でなければならない。ことに婦人は子どもと接している時間が長いのであるから、子供に対する影響は大である。したがって婦人はよりいっそうの学問を与えるべきだ。

山本覚馬の論文の一部です。八重はこれを見て感激したという。

 

次は、大山捨松の本を読む予定です。

明日の夕方から明後日まで、いわき市に行きます。

 

 

(本)孤闘・立花宗茂 上田秀人著

1600年関ヶ原の戦いの資料やネットで情報を見ていると、立花宗茂公という名前が出てきます。西軍として戦い大津城を攻めていた時に関ヶ原の戦いが1日で終わり、立花宗茂が関ヶ原に間に合っていたら西軍が勝っていたかもしれないのように書かれている人もいる。

存在はしっていたが、じっくり時代小説を読むのは始めてだった。

『関ヶ原の戦いで改易後、大名として旧領に復帰した唯一の武将である。』

その旧領が、筑後柳河藩。九州のこと。「やながわ」という名前が、場所は違うにしてもまた興味をそそられる。

“(本)孤闘・立花宗茂 上田秀人著” の続きを読む

本庄繁長公の墓所、長楽寺に行ってきました。

本庄繁長(ほんじょうしげなが)公は、戦国時代の武将で、上杉氏の重臣です。

火坂雅志著の天地人を読み返していて、ふと関ヶ原の戦いの時の福島城はどうだったのかが気になって調べたところ、本庄繁長公であることが分かりました。

関ヶ原の戦いの際、上杉景勝公の重臣であった本庄繁長公は、福島城に入り、奥羽の伊達政宗と戦うことになります。結果、福島城を死守しました。

その本庄繁長公が、現在の福島県庁の近く舟場町にある長楽寺が墓所であることを知ったのです。

 

 

慶長18年(西暦では翌1614年)12月20日没。享年74。上杉景勝は繁長の武勇を称え、故人に「武人八幡」の称号を与えた。法名は憲徳院殿傑伝長勝大居士。墓所は福島県福島市の長楽寺。長楽寺には繁長の木像が安置されており、毎年9月に行われる供養祭には一般公開されている。 ※ウィキペディアより

“本庄繁長公の墓所、長楽寺に行ってきました。” の続きを読む