「梁川八幡神社御開扉・600年をこえて御尊像特別公開」開催中。9月30日まで。

いま、梁川町の梁川八幡神社で「梁川八幡神社御開扉」が開催中。一般公開は初めて。昨日13日に行ってきた。

 

桜がちょうどキレイだった。

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正面奥を見ると分かるが、特別参拝用に順路が設置されていた。お祓い料500円で入ることができる。撮影不可。

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ということで、写真はここまで。入って、御尊像を目の前にしたときに背筋がピンとなるというか、不思議な空気。中で御尊像の説明を聞くことができる。

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ふくしまデスティネーションキャンペーンサイトのイベント情報に詳しく掲載されている。
梁川八幡神社 特別御開扉
http://dc-fukushima.jp/kanko/disp.html?id=3044

 

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斎藤慎也
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梁川八幡神社がふくしまデスティネーションキャンペーンに向けて整備されていた。

来週4月1日からふくしまデスティネーションキャンペーンが6月30日まで開催される。

福島県伊達市では、梁川町にある「梁川八幡神社」が今回のキャンペーンに合わせて約600年ぶりに「御尊像特別御開扉」が決定している。以前から八幡神社の駐車場の工事が始まっていたが、久しぶりに訪れたらほぼ工事が完了していた。4月11日にオープニングセレモニーが開催されるとのこと。伊達市のホームページになぜこの内容が掲載されていないのが、疑問だがそれは置いといて。

駐車場が広くなっていた。

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駐車場横にトイレ。

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これはステージかな。

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ステージ横にひとつだけ?休憩所。もっとベンチなり椅子なり置いた方が良いね。これから設置されるのだろうか。

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公園内看板から国見方面を撮影。ここは田んぼだったんだよね。だいぶ変わった。

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看板

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いまここ。「政宗にぎわい広場」という名前らしい。八幡神社入口広場という風に普通に付けても良いと思うが。

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八幡神社に続く参道は以前と変わっていなかった。この道は砂利で舗装されたが、少し前までは土の道で、道を入ってすぐにタイムスリップしたような感覚にしてくれていたが、砂利になってだいぶ印象が変わった。良いのか悪いのか。個人的には以前のままの方が風情があって好きだった。

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ここ梁川八幡神社は、戦国時代に当時米沢にいた伊達政宗が田村氏の一人娘・愛姫(めごひめ)を伊達家一行が迎えに行くことになった場所がここ梁川八幡神社とされている。それが1579年とされている。

その3年後、1582年に16歳となった政宗が八幡神社で父輝宗とともに訪れ、初陣祈願をした場所でもある。祈願のあと、相馬氏攻略のため兵をすすめることとなった。このあたりは、山岡荘八著「伊達政宗」に書かれており、八幡神社の案内板にもその内容が掲載されている。

オープニングセレモニーが開催される4月11日から、どのような盛り上がりになるのか。開催中にまた訪れてみよう。

 

ちなみに、ここ梁川町にある梁川城は初陣祈願の際に居城は米沢にあったが、伊達軍の拠点とされていた。その後、1590年の小田原城攻略後に奥羽仕置が行われ、1591年に伊達政宗は岩出山城に移った。梁川城は会津に入った蒲生氏郷の領地となり、1595年に氏郷が亡くなると、越後から会津に入った上杉景勝の領地となり、梁川城主は須田長義となる。

1600年の関ヶ原の戦いの際、日本全国が東と西に分かれて各地で戦いが行われることになるが、梁川でも北の関ヶ原の一つとして戦いが行われた。上杉は西軍、伊達は東軍であった。梁川城は引き続き須田長義が城主、梁川城を攻略するために伊達軍は阿武隈川を挟んだ北側にある大枝城を陣を布いて攻めた。上杉家の領地となってから梁川城は大きな改修をしていているといわれている。そして、伊達軍の攻めに対して抵抗し落ちることはなかった。伊達政宗は梁川城に攻め込んできたという歴史はぜひ知っておいてもらいたい。その後、約260年あまり廃藩置県が実施され梁川藩が福島県になるまで伊達家の領地になることはなかったのである。

個人的には、北の関ヶ原の一つ、福島県の県北地方で伊達軍の攻略から梁川城を守り、そして、上杉の領地であった現在の福島市にあった福島城(現在の福島県庁)が伊達軍から攻めこまれたときに、梁川から出陣し挟み込み、伊達軍を退却させたという話もある(これは事実かどうか定かではない)、梁川城主の須田長義公をもっとたくさんの方に知ってもらいたい。伊達政宗が認知度も高くPRに全面的に出ていることが多いが政宗は仙台が居城である。歴史を地元や全国に知ってもらうためには、知名度が高いというわけではなく、知名度が低くても天下分け目の合戦の関ヶ原の戦いの際に梁川城を守った上杉家家臣の須田長義公という武将がいたことを伝えた方が良いのではないかと考えている。

 

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梁川八幡神社アクセス

 

2012年11月に梁川八幡神社に訪れた記事

 

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