いわきFCを応援する理由に、いわき市とサッカーと私。

ブログやSNSで、いわきFCの試合を観戦したり、ニュースをシェアしたり、しています。福島県の県北地方で生活している私がいわき市のいわきFCを応援する理由を改めて考えてみると、いわき市とサッカーと私の関係も理由であることが分かります。

まず、いわきFCを応援するキッカケとなったのは、1シーズン目に相馬市の相馬光陽サッカー場で見た試合でした。当時から攻める姿勢が強く、最後まで走る、点を取りに行く、というゲームがとても見ていて面白く、その後も相馬市、福島市の十六沼などの試合を見るようになり、応援するようになっていきました。

いわきFCのサッカーの面白さ、選手・スタッフの皆さんの姿勢、サポーターの皆さんの姿勢、いわきFCパーク・フィールドの環境、がもちろん応援する理由の大きなものなのですが、それともう1つあるのが、いわき市とサッカーと私の関係です。

まず、私が生まれた病院はいわき市平です。サッカーを始めるずっと前の生まれたときの話ですが、母がいわき市生まれであり、母の実家が近い平の病院で生まれました。

生まれてからは、県北地方の桑折町や梁川町で生活しています。桑折町の醸芳小学校入学後、半年くらいで、いわき市植田町の植田小学校に転校しました。この植田小学校で私はサッカーを始めました。2年生だったか3年生だったか、詳しく覚えていませんが、その頃だったと思います。当時、低学年のチームでゴールキーパーをしていました。

当時の植田小学校は強豪チームで、福島県大会の3位になったと記憶しています。低学年の私はメンバーに入ることもなく、高学年の試合を観戦していました。さすがに、どのようなサッカーをしていたかは覚えていません。県大会3位だったという記憶だけです。笑
その後、なかなか厳しい練習に辛くなり、サッカーから離れます。地域のソフトボールをするようになっていました。

4年生の秋くらいに、南福島の杉妻小学校に転校になります。ここで、サッカー少年団に入り、再びサッカーをすることになりました。その後の福島一中でもサッカー部に入ります。なかなか県大会まで進めない時期が続き、3年生のときの最後の大会で、県大会に進みます。そこで、植田小学校のときのクラスメイトやサッカー仲間だった植田中学校や錦中学校の選手達が私に声をかけてくれました。覚えててくれたんですね。まさかの再会で、今も声をかけてくれた状況をよく覚えています。

福島東高校に進みサッカー部へ。1年生の時の冬の選手権の1回戦は、いわき市の勿来工業高校。私はベンチに入っていましたが、試合に出ることはなく、当時の記憶として、前年に敗れているということで東としては苦手意識のある高校というのを覚えています。1年生のときは勝つことができました。いわき市のチームは、この時からなんとなく、苦手な感じがあったかもしれません。

2年生の冬あたりから、県高校選抜の合宿に参加するようになります。そこで、福島県内各地、福島市や伊達郡など県北地方はもちろん、郡山や会津、喜多方など、各地数人ずつ集まる合宿でしたが、その中で一番仲が良くなり、会話をして、当時はポケベルでしたが連絡先を交換し、合宿以外の時間でも連絡をしていた友人がいわき市の磐城高校の選手でした。

高校3年生の最後の大会である冬の選手権。県大会の準々決勝で仲良くしていた友人のいる磐城高校と当たり、0−2で敗れて、東高校でのサッカーは終わりました。当時の新聞記事を昨日、福島県立図書館で確認してきました。新人戦を県優勝していた東高校はインターハイで敗れていましたが第4シード。この大会、シード校が全て敗れるという大会でした。

ざーっと思い出しながら書いてきましたが、生まれた場所がいわき市平で、サッカーを始めた場所がいわき市植田、中学時代の最後の大会での再会、学生時代に必死にサッカーをしていた高校サッカー最後の試合相手がいわき市の磐城高校でした。いわき市とサッカーと私は、こういったところから縁のある関係なのだと自然と思うようになっています。

いわきFCを応援する理由に、こういった私の中に自然に存在しているものもあるのです。

 

 

加藤ミリヤさんのいわきFC公式応援ソングがYouTubeで公開されました。

 

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