特別展「桑折西山城跡と伊達氏の戦国時代」が旧伊達郡役所で開催されています。

現在、桑折町の旧伊達郡役所で特別展「桑折西山城跡と伊達氏の戦国時代」が開催されています。

先日、福島民友に特別展について掲載されていたので、日曜日の朝、開館時間の9時に行ってきました。

いつ訪れても、この旧伊達郡役所の存在感、ステキであります。

桑折西山城は、東北本線「桑折」駅に西側にある山城。伊達氏がここを拠点する前は、本拠は梁川城でした。どうして、梁川から桑折に拠点を移したのか?現在の宮城県、山形県に繋がる道を確認すると分かり易く、分岐点という交通の要衝を押さえるために築かれたと考えられるとのことです。

しかし、この桑折西山城。長くは拠点になりませんでした。ここが特に私が知らなかったところで、梁川から桑折に拠点を移した14代稙宗(たねむね)と嫡男・晴宗(はるむね)の間で、乱が起きました。父、稙宗の政策に反対する一族や家臣らに担がれた晴宗が起こし、数年にわたって、父が追い出され、取り返し、息子が取り戻しに攻めてきて・・・。のようなことがあり、最終的には室町幕府将軍足利義晴の停戦命令によって、両者は和睦、晴宗が家督を継ぎ、稙宗には隠居が言い渡され、そして、桑折西山城は破却が命ぜられたとのことです。

それから、伊達家は米沢市に移り、仙台藩初代藩主の17代伊達政宗も米沢で生まれています。

この特別展、最近まで、西山城の発掘調査が行なわれていて、その結果も展示されていました。梁川城にあった建物の形態と同じ形態のものが西山城にもあったり、江戸時代に再び、ここを拠点にするために、築城しようとしていた跡があったり、など、発見があったようです。この時代になって、いろいろ発見されるというのは歴史好きとしては、読んでいてワクワクしました。桑折町という場所が重要な拠点であったというのも分かります。

桑折西山城は今後、公園としてキレイに整備されていく予定というのも掲載されていました。予想図には、本丸跡の整備、案内板の設置、道の整備、駐車場の整備など、歴史を残しながら、後世に伝えていくという意図が分かります。とても楽しみです。

幼稚園から小学校1年生まで桑折町で暮らしていた経験もあることから、桑折町は身近な存在であり、歴史を知れば知るほど、商店街のお店で買物したり、桑折町の方々とお話すればするほど、興味がわいてくる町です。

いま、私の中で、桑折町が熱いです。

旧伊達郡役所から北の方向、桑折町の商店街(桑折宿の通り)を見た風景。半田山もキレイに見えます。戦国時代、江戸時代も同じように半田山が見えていたでしょう。(ちなみに半田山は江戸時代、明治時代に地滑りが起きています。)

開催予告 特別展「桑折西山城跡と伊達氏の戦国時代」 | 桑折町ウェブサイト
http://www.town.koori.fukushima.jp/soshiki/21/nishiyamajo-sengoku.html

 

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斎藤慎也
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