磐梯町の慧日寺

先日、会津坂下町の軽トラ市に行った帰りに磐梯町の慧日寺に行ってきました。予定していなかったので、「そういえば、行こうと思っていた。」「ちょっと寄ってみようかな。」くらいの気持ちで訪れましたが、結果、かなりの時間を滞在することになりました。

「会津仏都」が注目され慧日寺もよく新聞などで聞くようになりました。福島民友新聞では「会津仏都」についての連載が掲載されています。この連載、開始時から読んでいますが、大変面白く勉強になっています。

慧日寺は1200年前に奈良から会津に来た徳一という僧が開きました。慧日寺だけでなく、会津を中心に福島県内各地の寺を開いています。

国の史跡に指定されている慧日寺跡。平成20年に中門と金堂が復元され、見事な姿で甦っています。ちょっと寄ってみようかなというレベルの場所では無いことが、この復元された姿と地域の人々の想いが伝わり、思いました。

中門と金堂、資料館の共通券500円を購入すると、中門と金堂が復元された姿を目の前で観ることができます。復元までの歴史をビデオで観ることもできます。

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「徳一廟」徳一菩薩の墓とも伝えられる五重の石塔がこのなかに。建立は平安時代。

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磐梯山慧日寺資料館。慧日寺の歴史(年表)や地域の伝統などを学ぶことができます。「常設展示解説シート」という解説が書かれているA4の用紙がいろんなところにあるので全てもらってきて1冊のファイルになりました。

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慧日寺の年表に書かれているなかで特に気になったのが1589年です。伊達政宗が摺上原の戦いで会津に侵攻したときに、戦火に巻き込まれて慧日寺は金堂以外の全てを全焼してしまっています。全焼したことの資料があれば、じっくり読まなければ分かりませんが、私はこの年表を見たときに、なんてことをしてくれたのだ、という想いでした。

訪れて感じたことは、復元された建物の見事さもそうですが、地元の方々が1200年という歴史を残してきたということ、そして、100年、次の1000年もここを残していく、という想いが伝わる場所でした。中門・金堂だけでなく、周辺を歩いてみて、そう感じました。

最初に書きました「ちょっと寄っていこうかな」は、2時間以上の滞在となりました。

9月24日から11月末まで「磐梯とくいつ芸術祭」が資料館で開催されるとのことなので、期間中にぜひもう一度訪れようと考えています。

史跡慧日寺跡 – 磐梯町ホームページ
http://www.town.bandai.fukushima.jp/site/enichiji/

 

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斎藤慎也
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